
イタリアに住んでいた経験のある方から、三番目の言語として学ぶイタリア語についてのあれこれを聞いた日でした。
ジュンパ・ラヒリさんの「べつの言葉で」というエッセイに目がとまりました。母語のベンガル語や英語ではなく、響きに特別な親しさを感じ、ある時虜になってしまったというイタリア語で綴られています。
母語を離れて得る自由とは一体どんなものなのでしょうか。こちらはただ翻訳を読んでいるにすぎないのですが、新しい言語による新しい人格を思い描くことは新鮮な感覚。
ヴェルガ「山雀物語」の一節にラヒリさんが感じた〈不完全であるという自由〉
その物語は十代の終わりに観て強く印象に残った映画の原作。唯一既知の伊文学の引用でしたので心を掴まれてしまいました。
鳥籠に閉じ込められた山雀(やまがら)。
修道女になる運命の尼僧。
そのイメージはストイックにイタリア語に向き合い魅了され続けるラヒリさんに重なり、読んでいる間の不思議な陶酔感の源でした。
自由自在に使いこなせない言語であえて。
実験のような、思惑のような。
不完全な自由は奥が深そうです。
ジュンパ・ラヒリ「べつの言葉で」
ジョバンニ・ヴェルガ「尼僧の恋」
読書空間 ひつじ日和
