人間はインプットをするとアウトプットをせざるを得ない生き物なのではないかと思う事があります。
例えば絵画、音楽、写真。
おしゃべりもその一環ではないでしょうか。
そして文章も。
サリンジャーさんはおそらく文章にそのエネルギーを注入していたのだと思います。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」や「ズーイ」「シーモア-序章-」を読んでいると特にそう感じます。
インプットは多岐に渡ります。
一茶、蕪村、子規の名前も登場するくらい。
もしかすると本を売ることもアウトプットなのかもしれません。
J.D.サリンジャー「大工よ、屋根の梁を高くあげよ シーモア-序章-」
読書空間 ひつじ日和