ブルシット・ジョブのブル(bull)は、フランス語のboleに由来する言葉です。
意味は「詐欺、欺瞞」。
シット(shit)も「くだらない、意味のない、厄介な」という意味があります。
著者のデヴィッド・グレーバーは「本人でさえその存在を正当化し難いほど、無意味で不必要で、世の中の役に立たない仕事」というような内容を定義しています。
世の中にブルシット・ジョブが蔓延しているような気がします。
かつてそのように感じながらやっていた仕事もあります。
原因はやはり資本主義にありそうです。
どこまでも追及する余剰。
誰よりも早く、多く。
結果不祥事につながったりもします。
できるだけ多くの人が太陽の恵みを人間が利用できるものに変換する仕事や人が人に対して気配りをする仕事に就くこと。
そしてもっと仕事をしていない時間を増やし、それを肯定する必要があります。
ベーシックインカムも重要な要素になりそうです。
世の中の様々な問題を一気に解決に導く可能性を秘めています。
デヴィッド・グレーバー「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」
「以下引用」
東アフリカの遊牧民のヌアー人は「時間」に相当する表現を持っていない。
資本主義経済では仕事の効率を上げ過ぎると、罰として時間つぶしの無意味な仕事を課せられる。
現在急上昇している情報関連の仕事はブルシット・ジョブの可能性が高そうである。
仕事をして得られるお金の総額と仕事がどれだけ役に立つのかということは、ほとんどパーフェクトに反比例している。
わたしたちは毎朝目覚めては、資本主義をふたたび作り直している。もしある朝、目覚めて、みんなで別の何かをつくろうと決めさえすれば、資本主義は存在しなくなるはずだ。
ブルシット・ジョブやブルシット部門がより大きく膨張してる理由の大部分は、数量かしえないものを数量化しようとする欲望の直接的な帰結だ。
差し迫った問題に対して、政府や企業により多くの権力を与えてしまうよりは、自分たちの問題を自分たちの手で対処できるような手段を人びとに与える解決策の方を好む。
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