水俣病という言葉を知ったのは小学生の時だと思います。
その歴史を眺めてみると当時はまだ苦しんでいる方が数多くいた時代だと改めて気付きます。
高度経済成長の時代。
自然環境の破壊よりも経済成長。
経済という免罪符の影で、10年以上苦悩し続ける声も上げられない人々。
想像を絶する状況だったのでしょう。
哀しみだけが残ります。
「水俣病は、びんぼ漁師がなる。つまりはその日の米も食いきらん、栄養失調の者どもがなると、世間でいうて、わしゃほんに肩身の狭うござす。」
「おとなのいのち十万円
こどものいのち三万円
死者のいのちは三十万」
- 価格: 836 円
- 楽天で詳細を見る
石牟礼道子「苦海浄土」
読書空間 ひつじ日和