沈黙

 
 
 
言葉を選んでいるうちに、伝えるのをやめたくなることがあります。
 
言葉があるから思考できるけれど、その言葉自体を持て余してしまう。
頭の中はなるべく「空っぽ」でいたいのに。
 
いっそテレパシーで伝わる人ばかりなら楽。
感覚が一緒なら言葉はいらないくらいです。
 
極から極、表も裏も見渡して、どれもしっくりこない、バランスをとるのが大変な事象に遭遇した時にも効果があるかもしれない。
「沈黙の力」を開いてみました。
 
どうやら、沈黙し深く自分とつながることは、人生のさまざまな場面で我が身を助けてくれそうです。
 
「心を無にするとは」という問いに「祈る時の感覚」と、著者と親しいユダヤ人が答える場面がありました。
 
〈彼は"nothing''ではなく''empty"という言葉を用いていたから、語られた主題は「無」というよりも「空・くう」というべきなのかもしれない。〉
 
弱き者の声なき声を聴こうとするなら沈黙を深めること。
心の耳で聴くことを心耳(しんじ)というと知りました。
 
日頃のひっかかりのヒントがみつかった気がします。
 
 
 
 
 

若松英輔「沈黙のちから」

 
 
 
 
 
読書空間 ひつじ日和