付箋を貼りながら読むような読み方はしたことはないですが、もしそうしたならば、付箋だらけになってしまうに違いありません。
本音で生き奥底の淀みも認めるつもりの一年という意味では、残り八ヶ月の時点でこの本に出会えたのは上出来な気がしてきます。
初めて読んだ宮地尚子さん。何歳くらいでどんな方なのか全く知らないのもよかったです。スッと入ってくる感じがして、すぐに心を開いて読み進めることができるのは珍しいです。
重いテーマも含まれており、思いがけず苦悶してしまうような感情が浮き上がりました。困惑もしましたが嫌な感じではありませんでした。多分適切なタイミングで手に取れたからだと思います。
まるでカウンセリングを受けているようにも感じられてきます。類似の経験から思うのは、カウンセラーが導いているようで、それはいつでも自分自身であり本人なのだということ。
宮地さん自身のご経験には印象的な情景がいくつもありました。これからも再び開くことがある本になりそうです。
死の周辺を考えていた時期とこの本との出会いが重なったこともあり、各章のタイトルもヒントのように感じます。例をいくつか。
なにもできなくても
内なる海
開くこと、閉じること
弱さを抱えたままの強さ
溺れそうな気持ち
張りつく薄い寂しさ
人とも本とも事象とも、距離を誤りたくはないです。普段は口にしないような言葉たち。
傷の大小ではないと思います。負うばかりでもないでしょう。その人なりになんとかして傷を愛そうとしていることが、光の方向でありますように。
宮地尚子「傷を愛せるか」
読書空間 ひつじ日和