18歳までは浅間山を横目に過ごしていました。
どちらかというと当たり前にそこにあり、特に意識することなく。
意識するのは噴火の時や、浅間山の上空で雷が光る時。
火山灰が積もったことが何度かありました。
浅間山麓は、特に夏は天候が変わりやすく、夕立が毎日のようにあります。
夜、浅間山上空での稲光は花火のようです。
軽井沢に滞在していた寺田寅彦は浅間山の噴火にも興味を持っていました。
昭和10年の8月に2回の噴火を経験しています。
そんな浅間山を平気で登る人たちをみて、以下のように書いています。
「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。○○の○○○○に対するのでも△△の△△△△△に対するのでも、やはりそんな気がする。 」
COVID-19に対しても同じことが言えそうです。
実効再生産数1を維持しながら、普通に生活していきましょう。
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